【考察】システムとしての宗教
11月 29, 2008 | Filed Under 世の中, 出力活動(日記) | Leave a Comment
今日は23日にキリスト教の収穫祭に行って参りました。
キリスト教と言ってもやはり「宗教」 ですから最初は疑いまくってました。むしろ警戒心しかありません。そうは言っても案内してくれる方にはきちんと挨拶してお話とかしてますからね。敵意丸出しで行動なんて(あんまり)しません。
仮に私が宗教を受け入れるとして、その場の感情で動かされ入信するなんてことは絶対にしたくありません。なので極力最後まで客観的に一部始終を観察するように心がけました。そこで思った点をいくつかあげます。最初に断っておきますが、自分は「無宗教」という宗教に属しているつもりです。
宗教と自己啓発は似ている
オウムサリン事件のあと、急速に社会的な信用を無くしていった新興宗教。その流れから胡散臭いと見られるようになった宗教全般。そして今でも本屋の人気ランキングで上位にあがる事がある自己啓発。これらは見ていくと結構共通点があるように思えます。
自己啓発(じこけいはつ)とは、自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。より高い能力、より大きい成功、より充実した生き方、より高い人格などの獲得を目指す。 wikipedia
具体的には「ネガティブにならない自分を作る」「コミュニケーション能力をあげる」「考え方を身に付ける」なんて感じです。これらを身に付ける方法としては書籍を読む。または自己啓発セミナーに参加するという手段があると思います。(自己啓発セミナーって結構問題が指摘されていたりするんですがここではスルーします。)
しかしこれが宗教のどこと共通なのかという話になります。これは宗教、宗派によって異なってくると思いますが、牧師さんやお坊さんからの説教、説法がこれにあたると考えています。先ほど行って来た教会の説教では「嵐が来る前に」という題目で「神から救済を受ける方法=人生を豊かに生きる方法」を話していました。牧師が行う説教の目的はキリストを信じなさい、神を信じなさいという内容です。そしてキリストや神を信じる事の報酬として豊かな人生があると説きます。例えば、
「豊かな人生…それは身近なものであり、ご飯が食べられる事、電気が使える事、些細な事に感謝しなさい。そうすれば人生は豊かなものになるのです…。」
これは自己啓発における常にプラス思考でいるための方法と同じなのです。たとえ自身が不遇な状況にあってもそこで些細な事でも良いから優れている点を見つける。発想の転換によって自らの気持ちを切り替える。「自己啓発の自身の利益のため」と「宗教の信仰のため」と理由は異なりますが、考え方のプロセスやそれによってもたらされる「豊かな人生」という結果には共通点があると思うのです。
コミュニティ管理システムとしての宗教
以前個人的に調べてみた創価学会との比較にもなるのですが、諸宗教から宗教性を外し単なるコミュニティとして見た場合、このコミュニティの組織力というものは良くも悪くもレベルが高いものだと思います。後輩として入って来た信者を先輩が面倒を見る。これは会社でも当然行われる事で当たり前のように思いますが、宗教コミュニティの場合面倒を見る範囲が拡大しているようで、生活の事から仕事や学校での悩みを気兼ねなく相談できる場として活用されているようです。またそこにいるほとんどの人が同一の神を信じる仲間として堅い信頼関係で結ばれています。それにより相談しやすい環境が形成されているようです。さらに相談し合う行為そのものが結束を高める為のツールとして使われていると思います。
マズローの欲求階層説
マズローの欲求階層説とは、
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 親和(所属愛)の欲求
- 自我(自尊)の欲求
- 自己実現の欲求
人間の欲求を5段階の階層に分け、程度の低い欲求(生理的欲求:生きる事への欲求)が満たされて初めて程度の高い欲求(安全の欲求:安全に生きる事への欲求)を満たす事が可能になるという理論です。また、自尊の欲求や自己実現の欲求などの高い欲求になるとそれを満足させる事は困難になると言われています。今ではマズローの欲求階層説は古い考え方ととらえられる事もあるようですが、この説は有名でビジネス書でもよく使われています。
何故ここでマズローの欲求階層説が出てきたのか。ある程度の規模を持った宗教組織であれば階層説の全階層を満足させる可能性を秘めていると思うからです。昔から慈愛の心から建てられた孤児院などは子供達の生理的欲求、安全の欲求を満たしてきました。宗教的な会合の際に周りの人との調和や神を信じるという結束感から親和(所属愛)の欲求を満たす事ができました。世間的に大きな事ではなくても、その一人一人にの成長をお互いが讃え合い尊敬し合う事で自我(自尊)の欲求を満たすことができます。そして自我(自尊)の欲求を継続的に満たし、信仰を続ける事で(宗教的な)自己実現の欲求が達成できるのではないかと考えます。
まとめ
今回は私は単身でとあるキリスト教会に行ってきました。もしその場の空気と同調し、宗教的な感情沸騰をこの身で体験すればもっと主観的な思想の変化というものを追えたのかもしれません。が、思考を変えられていく自分を客観的に観察するなんて高等テクニックは持ち合わせていないので可能な限り客観的に収穫祭というイベントの一部始終を見てきました。脳みそでは分かっているつもりでも理解できていないってこのことだなと思いました。講義という形で宗教学を学ぶ事はありましたが、あくまで文字上の知識。やはり百聞は一見に如かず。恐れずに体験する事が重要です。(ハンパな気持ちで行って飲み込まれたら元も子もありませんがね。)
一応宗教というものの見方の一例を提示してみたよ。という感覚で書いたので、特定の宗教に属しておられる方で不快感を感じた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
【2ch】ニュー速クオリティ:今の大学では「私語をやめろ!」っていくら注意しても無視してしゃべり続けるらしいな
11月 13, 2008 | Filed Under 世の中 | Leave a Comment
【2ch】ニュー速クオリティ:今の大学では「私語をやめろ!」っていくら注意しても無視してしゃべり続けるらしいな.
うちだ!うちの学校が載ってる!!
・・・はぁ、ヒドい状況だとは重々理解してるけど本当にバカバカしい。
推薦とかAO、付属上がりを廃止しろーって言ってるけどあんまり関係ないよな。
と、AO入試組の俺が言ってみる。
帽子はとらない。
話し続ける。笑い声がたびたび…。
ヘッドホンの音漏れ。
今の現状って昔と比べたらどれほど違うのかねぇ・・・。
そんな人たちでも就職活動の時期になったら一斉に仮面を被るもんだから本当に関心するよ。
【世の中】1コマ25分授業で成績アップ!!らすい。
10月 25, 2008 | Filed Under 世の中 | 1 Comment
授業分割 学力アップ 福岡・梅林中 1コマ25分 集中力持続(西日本新聞) – Yahoo!ニュース
1コマを25分にすることで集中力が持続するッ
そりゃー…25分ならね。
結果的に成績が向上している(らしい)から良いものの、
「25分授業が当たり前」ってなると高校に進んだ時に集中力が50分持つのだろうか。大学の90分には耐えれるのかねぇ。
甚だ疑問あり…。
それに何故25分授業にしなきゃいけなかったのか、っていう問題。
普段から素行の良い学校かは知らないけど、授業態度が悪いから今回のような処置を取ったというなら単なる対症療法であって根本的な解決じゃないよね。
なら集中力が続かないという問題を根本的に解決するにはどうすればいいのかッ!!
それを提示できなきゃだめじゃんって話だけど、そんなの無理だよー。
授業に対する集中力って言うのは個人のポテンシャルの高さよりもどれだけ学ぼうとする気持ちが高いかの問題だし。
大学でも興味の有る分野の講義はすごく集中して聞けるけど、くそくらえな授業じゃ集中力もたないからねぇ…。
まぁ将来性はとにかく、短期的な取り組みとしては評価できると思う。
あとは継続的に行うとしたらどんな弊害が生まれるかを考えて対処して行ければいいよね。
どんな環境に置かれていても伸びる子は伸びるから心配しなくても大丈夫なのかなぁとも思った。